振り返りとか最近の仕事とか創作とか(1)

めーーーーーーーーーーーーーっちゃ、ごぶさた。

久々にブログ書きます。

世の中、この1年半くらいで全く環境が変わりましたね。

僕も2019年末に事業を閉めて、
新しいフィールドで働き始めるという道を選んだんですが、

2021年にまた事業を再開するという
自分でも全く予想できてなかったことになっています。

その辺の詳細は今は置いといて、

とはいえ、1年4ヶ月ほどのブランクを経ての再開ですので
まあ、苦労も多いです。

ただ、これまでで一番自由に働けている状態であることは確かです。

これまでの振り返りをしつつ、今のこととか、
これからのことを書いていこうかなと思います。
長くなると思います。

(ふりかえり)

新卒で入社した会社員時代は年数とともに立場も与えられ、
それなりに自由な環境で働いてはいましたが、
当然会社という枠の中で働く以上、真の自由とは言えないわけで、

もっと自由に働こうと30歳で独立しました。

独立してすぐは知合いのツテで印刷会社に机を間借りしながら
その会社の仕事を請け負いつつ、独自の仕事を開拓していってました。

イラストの仕事がしたかったけど、出身がデザイン屋なので
そっちのつながりが多く、自ずとデザインの仕事が増えていったんです。

っていうか、デザインの仕事しかなかった。

ただ、会社員時代はディレクターだったので、
デザイン業務はアウトソーシングですすめていたこともあり、
独立して自分で作ることの楽しさや、
物によってはその方が早かったり、仕上がりにも満足できて
毎日がどんどん充実していってましたね。

なにより、儲かる。

お金儲けって、儲かったらめっちゃ楽しいですよね。

会社員時代の給料なんて目じゃないし、
自分のデザインがこんなに高く売れるのかと驚愕もしました。

(このときまだ税金の恐ろしさを知らなかった笑)

デザインの仕事(僕がやってるジャンルがニッチな業界でもあったので)が
調子良かったので、しばらくはイラストレーターになるという夢も忘れて
日々の業務をこなすことで精一杯でした。

そんななかで、同じジャンルのデザインをやっている友人と
会社を起こしました。

L.L.P.だったので、
法人格はあるけど、中身は個人事業主なんですよね。

個人の自由を確保しながら会社として仕事ができるということで
自分に合っていました。

ただ個人とはいえ、会社という属性で長く続けていると、
やっぱり会社としてって考え方になってくるので、
不自由が勝ってくるんですよね。

やっぱり誰かとやってるってのは気も使うし、
ピンの仕事をとるか会社の仕事をとるかみたいな場面も
いっぱいあるわけですよ。

ジャンルや役割が違う人間同士ならうまくいくかもだけど、
同じデザイナーでってなると、そういう問題も多く出てくるのかもしれません。
どっちを優先すんねん、と。

現実にもその頃には僕もイラストの仕事がどんどん増えて、
デザインの仕事より多くなっていたので、
もともとやりたかった夢でもあるわけやし
そっちに100%打ち込みたい気持ちが
膨れていってたんですよね。

でももう10年以上やってきてるってのもあったし、クライアントも広がってたし、簡単に辞めますというわけにもいかんので、なんとか2足も3足もわらじを履きながらやっとったんですね。

そらもうしどかったですよ。

イラストの仕事はありがたいことにどんどん増えていってたし、
地域のイベントへの参加やご当地カルタの「みたカルタ」を
自主制作したことによって、自分が住むまちで僕を知ってくれている人が増え、
近場の仲間が増えたことによって、都心の会社からの依頼仕事だけでなく、
地域の仕事もひろがっていったんですね。

反面、会社としてやってたデザインの仕事は全盛期に比べて減っていて
今までやらなくて良かった営業活動的な物もせざるを得なくなり、
いよいよ今までにない負担を感じるようになってきてました。

それが長く続いてしまって、いろんなことがしんどくなってしまっていたのも
この頃かもしれません。

そんなときに大手の会社からオファーをいただき、
僕はこのとき、一旦リセットする機会が来たのかも、と思いました。

仕事の内容も元々会社員時代にやっていた仕事と同じ内容で
さらにそのときよりも上位の会社で働けるということで
心機一転リフレッシュしつつ、今自分がやっていることも守りつつ、
今やってる会社も救うことができるかもしれないと考え、
入社を決意しました。

ただ現実はそんなにうまくいきませんでした。

むしろ忙しすぎて他のことをかまう余裕もなく、
できると思っていたこともできず、

結構つらい日々でした。

世間的には給料も良かったと思うし、福利厚生も手厚すぎるほどに手厚く、
非の打ち所のない会社でしたが、自分には合わなかったんですね。

その分相当なしんどさもあったので、自分の目指す生き方とはちょっと違いました。

あと、横文字を使ってしゃべる人が多いのはちょっと苦手ですね、、笑

結局は会社の売上げを「自分ごと」として捉えられなかったのがダメだったんだと思います。ネジの一つになるとそういう感覚が抜けちゃうんですよね。
(これはまあ、僕がダメなんだと思う)

「やっぱり自分のやりたいことやらなきゃ」
「自分で決めたい」

引き止めていただけたのは非常にありがたかったのですが、
早いほうがいいと思ったのと、言い出したからには初志貫徹でないといけません。というわけで

1年4ヶ月でまた「小坂タイチ」に戻りました。

一旦廃業のご挨拶もしてしまってたし、一から営業です。
ツテでどこかに間借りもしてないし、知り合いと会社もやってないし、
今度こそたった一人で自由にやっていくことになったのです。

ただまあ、「自由」といっても遊んでられるほど余裕があるわけではありません。娘もまだ大学2年なので、あと2年学費を払うし、成人式もあるし、
いろいろ要りますんでね。

幸いにも、再開業してすぐに快く連絡を頂け、お仕事もいただけました。
このときお声がけいただけたお会社様には感謝しかありません。

私の都合で廃業し、1年後にまた戻ってきた僕に仕事をくれたわけですので
このご恩は一生忘れられないし、仕事で返してまいりたいと思っております。

全盛期に比べると、正直まだまだ仕事も少ないですし、
依頼される内容もちょっと変わってきてて、
スパンの長い仕事が多いです。

手は常に開けてますので、時間のない仕事でも気軽にご相談ください。

というわけでざっくりの振り返りはこんなところです。

次回は再開してからの仕事紹介をしていきます。

つづく。

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イラストレーターナド。
ふるさとプロデューサー、三鷹商工会員、三鷹市観光企画委員、イラストレーターズ通信会員。クリエイティブ業界で20年目。嫁1人、娘1人。関西弁。